中村慎太郎の自伝的エッセイ『西葛西出版ンゴンドロ』

中村慎太郎の自伝的エッセイ『西葛西出版ンゴンドロ』

ロスジェネ東大卒ワープアライタータクシードライバーを経て東京江戸川に出版社を創る


西葛西出版創業のプレリュード。

どうしてこんな出版社が生まれたのかを掘り下げる。

自由に人間を綴る"西葛西ZINE"第1弾!!

書きたいものを全力で書いた。

中村慎太郎

ンゴンドロ སྔོན་འགྲོ
チベット仏教において、本格的な修行をはじめる前に行う、予備行を表す言葉。

<西葛西ZINEをはじめるにあたって>

著者の中村慎太郎です。
株式会社西葛西出版の代表を務めています。

この本は、西葛西出版で文学フリマ東京に出店しようというところから始まりました。同人誌、ZINEを扱うイベントなのですが、商業誌を扱う出版社でも出店することは可能ということを知りました。少しでも西葛西出版を知っていただく機会になればという思いもあり、出店を決めました。

ただ、同人誌がメインになるイベントなので、商業誌を持っていってもあまり売れ行きは良くないのだそうです。それはそうでしょう。ほとんどの人は同人誌、ZINEを探してイベントにきています。商業誌を探すのであれば、書店に行くほうが効率がいいわけです。

それに同人誌・ZINEがメインのイベントに行くのだから……。

作ろうじゃないか!!

同人誌・ZINEを!!!

というわけで、はじまったプロジェクトが、「西葛西出版がお送りする「人」にフィーチャーしたZINE」ということで、西葛西ZINEというレーベルを作りました。

西葛西ZINEは、著者が書きたいものを全力で書く小ロット、低予算のZINEです。著者の表現したいことを思う存分表現し、それを求めてくれる少数の読者にお届けすることを目指します。

西葛西出版は何でも話してしまう出版社なのでお金の話をしましょう。

商業出版をする場合に出版社が支払うコストは、装丁や部数にもよりますが、最低でも100万円くらいはかかる見積もりになります。流通や広告にかかる費用を考えると200万円くらいは見ておく必要があります。大きな出版社が出版する場合には、300万円以上かかるのではないかと思っています。実際に大手出版社の自費出版レーベルでは300万円程度の費用がかかるとしていたのを目にしたことがあります。

では西葛西ZINEではどのくらいの費用がかかるのかというと、最初のロットについては、印刷費が7万円弱でした。編集、校正、デザイン、DTPを外注せずにすべて自前でやっているからではありますが、費用全体でみても10万円程度で作ることができます。

ということは、どんぶり勘定ではありますが、1000円の値付けで100部販売することができればトントンということになります。もちろん、労力がかかっているので人件費は回収できていませんが、自分の労力を無視すると100部で十分です。

逆に商業出版の場合には、200万円を回収するためには、1500円の値付けの場合、出版社に入るのは6掛けで900円程度となるため、2200部程度販売する必要があります。

リトルプレスの西葛西出版の目線で言うと、100部でトントンのZINEと、2200部売れないとトントンにならない商業出版という違いがあるわけです。22倍の差があります。逆にいうと、ZINEは商業出版の書籍よりも22倍気楽に作れるわけです。言うまでもなく、書籍の紙質、装丁、分量、発行部数などによって原価は変わってきます。

というわけで22倍の気楽さで作れる西葛西ZINEをこれからも展開していこうと思います。

その第一弾となる西葛西出版ンゴンドロは、文学フリマのテーマに強く影響を受けています。

文学フリマは、作り手が「自らが〈文学〉と信じるもの」を自らの手で作品を販売する、文学作品展示即売会です。<公式サイトより>

「自らが〈文学〉と信じるもの」とは何なのか。

かつて考えたことがあります。

文学とは人間そのものです。

例えば岩石を描いた場合には、それは自然科学的な観察となります。数式を解く場合には、数学です。しかしながら、鉱物研究者や数学者の半生を描いた場合には、文学に近づいていきます。文学とは人間を表現した概念だと言えます。

この問いを立てたのは、東京大学文科Ⅱ類にいたころです。マクロ経済学、ミクロ経済学、経済原論などの講義があまりにも面白くない理由を考えていたとき、そこには「人間」が欠如しているからだという結論に至りました。

その結果、進路振替制度を利用して、文学部へと移ることになりました。このシーンは『西葛西出版ンゴンドロ』にも書きました。

そして、僕が表現できる「人間」とは自らの足跡です。

僕が辿った足跡が文学と見なされるかはわからないが、少なくとも人間らしく足掻いた記録ではある。そう確信できるので、自分の半生をテーマに選びました。

<中村慎太郎の半生なんか読んで面白いのかどうか問題>

「半生をつづった自伝」というのは、自費出版の王道テーマであり、多くに読者にとって実にどうでもいいテーマでもあります。

だから、「自伝が書きたいから書いた」と言っても、読者がつきづらいことは明白です。もちろん、普段から僕の活動を追ってくれている方については、読んでくれる可能性があります。なので、いわゆるファン向けグッズというような位置づけならば良いでしょう(ぼく自身にファンがいてくれているかどうかはさておき)。

しかし、ファン向けグッズは文学なのでしょうか。ファン向けグッズであっても文学になる場合もあると思いますが、心情としてはノーだと思います。何故かというと、そこには甘えが見られるからです。ファンならば自分の人生を肯定してくれるはずだという甘えた見通しをもとに書いた文章が、文学たり得るかというと、心情的にはそうなりづらいのではないかという気がします。これは僕の感覚的な問題です。

もう少し厳しく書いた自伝にしないといけない。そう思った時にやるべきことは「テーマ」をつけることです。漠然と語った半生には誰も興味を持ってくれません。なので、テーマをつけました。

それは「西葛西出版をどうやって創ったのか」です。

このテーマは『ゲンロン戦記』という本に刺激を受けて、ずっと書きたかったのですが、なかなか壮大なテーマとなりそうです。なので、創業期の「創業以前」の部分にフィーチャーし、どういう人生を送ってきたら出版社を創りたいと思うようになるのかという縛りで綴ることにしました。

最初は「クリエイターとお金」について書こうと思ったのですが、お金についての話だとどうしても情熱が乗りません。物事をドライに考える必要があるからです。結果、途中で文章を修正して、「お金」ではなく「文章表現」へとシフトさせました。

つまり、『西葛西出版ンゴンドロ』は、出版社を創業する前に、作家を志して戦ってきた軌跡を綴る、クリエイターの半生を描いた本ということになります。

こうなるとテーマが絞れてきますが、もう一つ大事な要素は、僕が「ロスジェネ世代」ということです。不遇なロスジェネ世代だからこそしてきた苦労が、今の糧にはなっていますし、もしもすんなりと大企業に入っていたら、こんな人生にはならなかったかもしれません。

そうなると「ロスジェネ世代の東大卒ライターが出版社を創るまでの話」となります。調味料としてタクシードライバーでの勤務や、サッカーライター時代の話などが入っているというレシピです。

自分が実力をつける過程は、「西葛西出版プレリュード」とでも言うべきなのですが、そんな気取ったタイトルにしても合わないわけです。そんな中で、チベット語で、本格的な修行に入る前の前段階に行う予備行であるンゴンドロという言葉を見つけて、この言葉に思いを託しました。

この本は、小学校のときに夢を語るところから、中二病、大学受験、大学時代、大学院、ライター時代、タクシードライバー時代と辿っていくことで、物書きとして開花していくこと、その理由となっていたのが「〇〇を心から求めたこと(ネタバレ回避のため伏せ字)」、そして、最後に解決するべきだった「クリエイターとお金」の部分に取り組む中で西葛西出版を創ったことについて書いています。

文章の流れを重視して、「章立て」をしてぶつ切りにする事はなく、各段階の繋ぎをなめらかにすることを意識して書いています。なので、つるりと読めると思います。

分量は4万字程度です。商業出版の書籍のようなボリュームはありませんが、そちらでは出来ないような表現を敢えて使っているので、ZINEとしての骨格、矜持は持っていると思います。

あまり多く刷っているものではないので、すぐにとは言いませんが、いずれ売り切れてしまうと思います。是非お買い求めください!!

低予算なので簡素な仕上がりです。

中身 最初のほう

23ページくらい

<読者の感想>

「一気に読んじゃった!!面白かったよ!あんたも変な人生だねぇ」母

→第1号読者は母でした。本を書くと、家族はとても喜んでくれます。子どもたちは手に取ろうともしませんが!

「共に西葛西出版を創業した仲ではあるが、社長がこんなンゴンドロを経験してきたのを知って驚いた」大城あしか

→半生をしっかり語るというのは、4年間ずっと一緒にやってきている相手にもなかなかしません。もちろん断片的には話すことはありますが、体系立てて、整理して、ある種の"叙述的目標"に向かって書いていくということは、「口頭での語り」では難しいです。だから、この本は身勝手で手前味噌な本であると同時に、なかなか存在しない珍しい本だと言えます。

→いい文章を書きたい。そして、いい文章とは、深みがあって、人間性が溢れ出るものなのです。どれだけAIが発達しても、良い表現には必ず人間がかかわってきます。AIが素晴らしい芸術を表現できるようになったのであれば、それはAIが人間になったということでしょう。ただ、AIは感情を持たず、人間にはなれないので、表現という分野は人間の専売特許となると思います。

自分の人生を作品にするのは気恥ずかしいことで、ある種のナルシズムに陥りやすくなります。そうならずに書き切れるようになったのは、著者としての成長である以上に、成熟・老成なのかもしれません。サッカー選手のピークは28~30歳くらいでしょうが、物書きとしてはこれからです!!良い作品をお届け出来るように日々精進したいと思います。

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<資料>

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